佐々木隆仁が語る過去と未来5

ソフトウェアベンダーとして、ようやく軌道に(1999年~)

データ復元ソフト、ファイナルデータの発売で起死回生

そこで、どうすべきか考えました。その結果、ヒットしたのが消えたデータを復元するファイナルデータでした。最初のうちは、ヒットソフトを市場に出すのは、不可能ではないかと考えたこともあります。その理由ですが、ベンチャーなので、販売体制がありませんでした。営業もいないし、マーケティングできませんでした。こういった何もない環境からどうやっていくか、また、流通に対して実績もないので、どうすべきかを検討しました。 当時、ソフトバンクさんがソフトウェアの流通を担っていました。普通に全部の会社のソフトも扱っているので、弊社のソフトウェアだけ優先的に扱ってくれることもありませんでした。また、プロモーションをするにも、お金がかかります。ソフトウェアには、バクチ的な要素があったかと思います。お金かけてプロモーションをしても、売れなければ意味がありません。こういった状況で、難しさを感じていたのですが、たまたま、消えたデータを復元するファイナルデータが売れ始め、日経のアワードまでいただきました。

その後、データ復元ソフトのシステムメンテナンスの市場で、20年以上、1位のシェアを築き上げることができました。これでようやく成功したといえるのではないかと思っています。当時も、消えたデータを復元するというソフトウェアは世の中になかったのです。

実は、最初に入社した大手コンピュータメーカーでは、データの消えないコンピュータシステムの開発に関わっていましたが、うまく作ることができませんでした。そこで、発想を少し変更しました。あれだけ開発費をかけてもデータの消えないコンピュータが作れないということは、多くのユーザーが日常的にデータを飛ばしているのではないかと考えました。

実際にどのくらいデータを失っているのか、アンケート調査を行ってみました。一般ユーザーの人で、8割くらいが大事なデータを失ったことがあると回答しました。さらに、もっと専門的なシステムに関わるような人では、9割くらいがデータを失ったことがあると回答しました。ここで、あれっと思いました。つまり、データは、ほぼ日常的に失われていると考えました。となると、後からデータを復元するソフトウェアのニーズはあるだろうという結論になったのです。実際に消えたデータを復元するソフトウェアを出してみたら、非常に当たりました。

こうして、ふと、気が付いたら100万本を超えていました。売上でも累計100億円以上になりました。もちろん、何年かかけて達成された数字ですが、これでできたなと思いました。それはそれで、奇跡だったのかもしれません。しかし、消えたデータを復元するという市場があるということを、実際に、自分みずから証明できたことは、成功した実績になるかと思っています。

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