佐々木隆仁が語る過去と未来6

ソフトウェアベンダーとして、ようやく軌道に(1999年~)

ソフトウェア販売からサービスの提供へ

こうしてファイナルデータの販売を続けていたのですが、ソフトウェアで復元をする人もいるのですが、ソフトウェアで復元できない方もおられました。パソコンでソフトウェアをインストールして復元するという作業は、そこそこの知識がある人でないとできないのです。つまり、ソフトウェアの販売だけでは十分ではないと気が付きました。そこで、次に始めたのは、データ復旧をサービスで行うものです。後に、データ復旧サービスと呼ばれますが、そのサービスを開始しました。 しかし、これも最初は、非常に手探りの状態でした。もともとはソフトウェアを開発して販売する会社です。復旧サービスをやるのはいいのですが、サービス会社ではないので、そんな仕組みがありませんでした。どうやって消えたデータを復旧するサービスをやればいいのか、最初はまったくわかりませんでした。家電量販店に行き、店舗内にデータ復旧サービスの窓口を開設してもらいました。そこでサービスの受付をするのですが、当初は、ほとんど依頼がきませんでした。これは、だめだと思いました。

もう少し、窓口を増やせばいいかと思い、次にやったのは、印刷やコピーなどのビジネスサービスを展開する店舗に行き、そこを窓口にしてデータ復旧サービスを24時間受け付けるようにしました。こうすれば、依頼件数が増えるのではないかと思いました。実際にスタートするのも大変でした。たとえば、依頼した店舗の店員さんは復旧のやり方を知りません。そこで、復旧のやり方を教えてほしいといわれました。そこで、弊社でパソコンも購入し、復旧方法も教えてあげ、サービスを開始しました。すると、そこそこ売り上げが立ってきました。

その後、別の問題が発生します。お願いした店舗のバイトの人がひんぱんに辞めてしまうのです。また、最初から教えないといけなくなりました。また、難しい局面に遭遇します。最後は、無償で貸し出したパソコンだけが、使われずに眠っていて、店舗の方も積極的に復旧の作業が大変なので案内しなくなりました。これもうまくいきませんでした。復旧サービスに関しては、こういった試行錯誤がありました。

どうやったら、サービスとして成り立つのか、結論からいえば、自力でやらないとだめだということでした。しょうがないので、自分たちで復旧サービスをやることになりました。サービス会社ではないので、復旧をやる人もいないですが、無理矢理やるしかありませんでした。このように試行錯誤しながら、復旧サービスを構築していきました。もっとも大きな転機となったのは、NECさんのデータ復旧サービスでした。このサービスを我々がやりたいという話をしました。採用されるまでには、けっこう時間もかかりましたが、最終的には任せますというお返事をいただきました。NECさんの窓口でデータ復旧サービスがフル稼働すると、ものすごい数のパソコンが弊社に送られてきました。これを全部、復旧しないといけなくなりました。ちょうど年末の時期で、社員全員で正月を返上して復旧作業をしました。

ちょうど弊社が大きくなり始めたときのきっかけともいえるエピソードです。今は、ヤマダ電機さん、ヨドバシカメラさん、ケーズデンキさん、エディオンさんといった量販店のデータ復旧も裏方では弊社が全部、復旧するというところまできています。こうして、データ復旧サービスも順調に成長してきています。こういったことが、大きな流れとしてあったかと思います。

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