佐々木隆仁が語る過去と未来1

就職から起業まで(1989年~1995年)

大手コンピュータメーカー時代

もともと、私はコンピュータの仕事をすることは、大学に入った頃から決めていました。コンピュータに関わる仕事を一生の仕事にしようと思っていました。その理由ですが、高校時代くらいからパソコンが登場してきました。自宅にもたくさんありまして、さわっているうちに、プログラムを組んだり、アプリを作ったりしていました。そんなことをしていると「これは非常におもしろい機械だな」と感じました。それで、一生の仕事にしようと、高校生の頃から漠然と決めていました。大学もコンピュータが学べる大学に行こうということで、早稲田大学理工学部でコンピュータサイエンスを専攻にしました。

就職は、大手のコンピュータメーカーにすんなりと決まりました。そのときが、ちょうど平成元年になります。まさに平成のスタートともに、私のコンピュータとの仕事がスタートしたといってもよいかと思います。

当時は、NECの16bitパソコンのPC-9801がありました。私も、学生時代はPC-9801を使っていました。それが、ちょうど32bit移行の時期を迎えていました。富士通のFM TOWNSが登場したのも、平成元年の1989年でした。しかし、日本のPCメーカーは、NECのシェアがとても高かったこの頃から、おかしくなり始めてきました。具体的には、グローバルスタンダードなパソコンであるIBM PC互換機が登場してくると、日本のパソコン関連ビジネスがプレゼンスを発揮できなくなってきました。 OSもその頃は、Windowsが普及しておらず、MS-DOSの時代でした。今後、OSの覇権をどこが握るかといったことも非常に注目されていました。私も、大手のコンピュータメーカーでOSの開発をやりながら、どうやったらデファクトスタンダードのOSを作り上げることができるかといったことを考えていました。

『リーガルテック株式会社 沿革』に戻る 〉