佐々木隆仁が語る過去と未来4

就職から起業まで(1989年~1995年)

Windows 95が登場したが、業績は伸びず(1995年)

私が会社を設立した1995年は、ちょうどWindows 95がリリースされた年でもありました。インターネットがだんだん普及し始めるのも1995年でした。当時、ソフトバンクさんが注目を集めて、とても高い株価をつけていました。その影響もあって、ソフトバンクのファンドから、出資をしてもらうことができたことも、もう1つの幸運材料であったと思います。インターネットが普及していくなかで、新たなビジネスチャンスを作ろうと思っていろいろ工夫していったのが、会社を設立して間もない頃の状況でした。

もともとのソフトウェアの開発をしていたので、こだわっていたのはヒットソフトでした。世の中で成功して認められることの基準の1つに、100万本と思っていました。ですので、創業したときからずっと「ミリオンセラーを出そうよ」といい続けてきました。当時のパソコンのソフトウェアは1本、1万円でした。単純な計算ですが、100万本売ると100億円になります。何もないところから、100億円の事業を作ったら、すごいことではないかと思いました。 でも、実際にやってみると、ヒットソフトを作るのは非常に難しいのです。最初、作ったソフトは全然売れなくて、10万本くらいでも売れてくれたらいいと、本当に思いました。しかし、実際には6000本くらいしか売れませんでした。20000個の在庫を作っていましたので、1万個以上が不良在庫になる経験をしました。やはり、これは難しいと感じました。2つめのソフトウェアを開発したときは、5000個くらいを販売目標にしました。しかし、今度は3000個くらいしか売れませんでした。改めて、難しさを感じました。このように2本ほどソフトウェアを出して失敗して、資金もだんだん減ってきました。

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